もののあはれとは何かを知る。 [和歌・源氏物語・古典]
もののあはれの、なんと奥深いことか。
生まれてこの方、33年・・・・・・。
こんな経験したこと無いからわからなかったことが、ゲームをやったことにより、源氏物語のある女君の精神的な流動、躍動、感情の動きや途切れが自分がその気持ちを追体験することにより、わかったのです。
何が繋がるか、本当に人生ってわからないものです。
もののあはれというものの重みや深さが実際のものとしてわかるまでは、物語の見方が違ってしまう。
そんな風に感じるほどの大きな発見でありました。
わからないことをわからないままにしておくのは良くないけれど、誰かに説明してもらったとしてもわかるものでもない事柄である限り。
感じていた疑問を昇華できる一つのことに対しての理解が、これだ!!とわかる瞬間があったことがものすごく運が良かったとさえ思えます。
これがそうなんだとわかった今でも、これがもののあはれです。とは説明できかねるものですしね・・・・・。
源氏物語の訳をなさった方々は、やはり現実としてもののあはれを体験した事がある人が多いのかもしれないと感じました。
重い女になりたくない [和歌・源氏物語・古典]
過去記事を消してリサイクルしています。
せっかくいただいたコメントやナイスを消すのが忍びないので・・・・。
重い女・・・・・
体重じゃないです。まあ、体重も増えすぎたら問題ですけどね。
昔、忠臣蔵の時代劇を見ていたときに、
ある赤穂浪士と一緒に暮らしていた女性が、
討ち入り当日の夜になって、
「どうせ死ぬなら同じじゃないか、あたしのために死んどくれ!!」
といって刃物を持ち出して赤穂浪士の人に斬りかかり、もみ合って結局、情死・・・というか心中。
というのがあったのを見ていて、私は大変衝撃を受けたんですが。
実際の史実とは違うと思うんだけど、
他の赤穂浪士の家族なり恋人なりは皆日常生活を送りつつも、うすうすは、
この人は本当は赤穂の浪人で、身分を隠しているけど、いつかは討ち入りで私の前からいなくなる人なんだってわかってたと思うんですが・・・・・。
結局情死しちゃった人は、そのドラマではどうも、今で言うヒモのような生活をしていて、
同棲している女性が長唄か小唄の師匠をして生計を立てていたので、養ってもらっていた様子で。
なんだかいたたまれない気分にもなったわけですが・・・・・・。
非常につくすタイプの女性だったんだろうなとか、色々な意味で自立しているけど、
男性との事になると、精神的な自立が出来なくて、自分が思うよりも深く相手に依存してしまう女性なんだな・・・・・と思いながら、倒れた二人の上に雪が静かに積もっていくのを見て思ったり。
なんでわかってあげないのだろうという思いもドラマを見ながら思ってしまったんだけど、
そこまで女性を追い詰めた男にも原因はあるんだろうなと、
ドラマにならない部分の二人の生活の部分に歯車のかけ違いが生まれてたんだろうなとか思いました。
「源氏物語」の六条御息所もけっこう重いタイプの女性だなあと思ったり。
何かで読んだんですが、男性の人気があるのが夕顔で、六条御息所は人気が無い方だとか。
まあ、怖いし・・・・・そういう風に思う人がいても、仕方が無いと思うんですけどね。
自分が光源氏だったら、
何であの人と関係持っちゃったんだロー・・・・とか思うと・・・・。(正直)
だって、いきなり夜中に生霊状態で現れたり・・・、実際あったら、しんどいですよ。
げって思うと思うんだ。
そこまで自分を追い詰めてしまう人ってことも気の毒だとは思うんですけどね。
相手を思いやる気持ちもあったとしても、なんか、そういうことが続いたら通いにくいから、
やはり気が楽なところに出かけてしまって余計に遠ざかる・・・・・。
こういうの、わかる気がするんです。
あんまり必要以上のこだわりとか執着を持ちすぎると、それで自分ががんじがらめになったりとか。
私は基本的にたいていのことはできるだけ流すようにしていますが。
そうしないと色々なことに興味がありすぎて、時間が足らない。
猫との付き合いのような感じで、微妙にクールです。
友達との付き合いも、年がら年中会ったりもしてないんですよね。
その時に用事がある人と連絡を取って会う。
そんな感じで。
以前、ネットの付き合いとかで、精神的に重いって人がいるから・・・・・。
毎日日記を読みにきて欲しいとかコメントは必ず入れて欲しいとか言われたらしいんで。
どうしたらいいかとか聞かれたんですが、
私の場合は、現実的に自分の出来る限りの時間を割いているけれど、
それでも無理なことは出来ないわけですから、無理なものは無理。
と割り切ってやってます。
変に気に病んで、ネットが楽しめないのは本末転倒だと思うし。
更新の都合もあって、ミクシも日記をこのブログに切り替えてしまいました。
時間に余裕が出来れば、ミクシもミクシで日記を元に戻せばいいと思いますし。
世界が広がると色々な人に出会うけれど、それはそれで、また大変なこともあるんだなー。
と思ったことでございました。
源氏物語が面白いほどわかる本―日本が誇るラブロマンがマンガより楽しく読める
- 作者: 出口 汪
- 出版社/メーカー: 中経出版
- 発売日: 2001/01
- メディア: 単行本
和泉式部歌集 [和歌・源氏物語・古典]
古典の文庫本 [和歌・源氏物語・古典]
ビギナーズ・クラシックスは日本の古典だけでもこんな感じのが出ています。
画像をクリックすると、通販のアマゾンになりますので、本を購入することもできます。
先日、行きつけの書店を見たのですが、2冊程度しかありませんでした。
纏め買いすることになったら、通販もいいかなと思いました。
家まで届けてくれますもんね。
色もなき心を人にそめしより [和歌・源氏物語・古典]
色もなき心を人にそめしより うつろはむとはおもほえなくに
古今和歌集 巻第14 恋歌4 719番歌 紀貫之
訳
純粋な何も無かった心に貴女のことを思い描くようになったそのときから、
色が移り変わるように他の人を思い描くようになるなんて思ったことが無かったのに。
これって、思っている人がいたけれど、他にも気になる人ができてしまったという感じがします。まあ、ずっと好きで文を送ってはいたけれど、なしのつぶてだったとかかもしれないし・・・・・・誰に送ったかもわからないから、いまいちはっきりしたことがいえないけど・・・・・。
まさに、ゲームなどをしていて、初め気になった攻略キャラに熱が上がった後、他のキャラクターへ移ったときにそのキャラクターが予想外にツボだったりして、また熱が!!みたいな感じなのかしら。軽く考えればね。
舞一夜で多季史というキャラクターが出てきて、全国の神子様の心を揺さぶったであろうから、まさにこんな気持ちになった神子様方は多かったと思いますが。
これ、アニメイトのキャンペーンのコースターに出ていた和歌です。
キャラクターは安倍泰明。
誕生日が9月14日。
ということで、出しました。
泰明さん、お誕生日おめでとう。
私からは和歌をプレゼントします。
うつろひて君と眺める桜花 秋の名のつく花もあるかな
(たとえ気持ちが移ろうことがあっても、季節がうつって一緒に眺めた桜が散っても、秋には、また桜の名がつく花が咲きます。)
ちなみに詩紋君の和歌は、すでにヒノエの誕生日で訳を出してあります。
紀貫之関連の本
手もふれで月日へにける白真弓 [和歌・源氏物語・古典]
手もふれで月日へにける白真弓 おきふしよるはいこそねられね
古今和歌集 巻第12 恋歌2 605番 紀貫之
青山訳
白真弓のように清らかな貴女だから手も触れることができず長い月日を過ごしてしまった。
貴女のことを想うと夜も眠れず、起きたり臥したりを繰り返しているというのに・・・・・
一般的模範訳はこんな感じです。
手も触れずして月日を過ごしてしまったわが白真弓よ。
起きたり臥したり夜は眠ることもできず、恋しさに悩んでいる。
補足解説。
白真弓はまゆみので木作った弓のこと・・・相手の女性と見る。
起き伏し・・・弓を射るときに、弓末を引き起こしたり伏したりするので、眠れずに起き伏しする意味に関係を持たせている。
射と寝・・・とちらもイという発音がある。縁語。
これ以上の解説はあえてしません。
興味をもたれた方は、ご自分でお調べください。
遙3有川譲君お誕生日に間に合わせようと思いましたが、選定に時間がかかりすぎました。
「遅くなって本当にごめんね。譲君。」
「・・・仕方のない人だなあ・・・・。」
本当に今回は迷いました。
何で迷ったかは、秘密。
兄貴が夢で会っている時に、弟は悪夢を見てうなされていて睡眠不足なんて、本当に気の毒だ。
現実に近くにいるからあいこかもしれないけど。
でもね。やっぱり譲くんの真面目さとか、清廉さを表現してみたかったんだ。
こんなことしかできないけれど。
譲君お誕生日、おめでとう。
ちりをだにすゑじとぞ思ふ咲きしより [和歌・源氏物語・古典]
ちりをだにすゑじとぞ思ふ咲きしより いもとわがぬるとこ夏のはな
古今和歌集巻第三 夏歌 167番 みつね
隣家から、みつねの家の庭に咲いている撫子の花を分けてほしいと言う使いのものが来たときに、その花を惜しく思い、この歌を詠んで添えた。
訳
塵一つもこの花には落ちないように丹精して育てた花ですよ。
花が咲き始めてからずっと愛しい人と供寝するときのように大切にしてきた花です。
よほど見事に咲いていたんでしょうか。お隣さんが『その花分けて』と言うくらいですから。
それとも下さいと言った方は、花を贈りたい人がいたのかしら?とか思います。
撫子というと、大和撫子。という言葉がふいと浮かびます。
人にあげるのが惜しいと思われるほどの美しさ。
一度見てみたいものだなと思いました。
花ってその場にあるだけで気持ちが和らぎます。
でも、どんな所に咲いているのかも、見栄えとしては重要なんじゃないかと思います。
きっと、みつねさんの庭が、撫子を引き立てるような配置や手入れがなされていたんじゃないかしら。
花を惜しむ男。
少しけちくさい感じもしなくはないが。
まあ、花の時期は短いし、育てるのは長いし。難しいのはわかるけど。
飾るのではなく、欲しいといったお隣さんの使用方法を考えてしまうと、他にもこの和歌には意味があるようにも取れる。
花を贈りたいと思う人が、まあ、大体が恋文に添える花であったとしたら。
綺麗な花を贈ろうと思うのではないだろうかと。だとしたら、季節の花の中でひけをとらない程美しく咲いたものだから、自信を持って文を送りなさいというエールのこもった歌なのか・・・・・・。
いもとわがぬるとこなつのはな
この下の句、けっこう色っぽいなあ――――――。
遙かなる時空の中での橘友雅さんお誕生日6月11日
私の印象では、その花分けてと言えば、快くどうぞと花をくれる人だと思っていますが。
もしかしたらたまにこんなことをしていたんじゃないかしら。と思ってこの歌を選んでみました。
友雅さんが選んだ神子様にはそれこそ虫の1匹も寄せ付けないほど大切にして下さることでしょう。
まさに常夏の花ですよ。
「ゆる体操」で気持ちよーくキレイになる -「大和撫子のからだづくり」
- 作者: Nido=神津圭子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/07/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
源氏物語 (6) 初音/胡蝶/蛍/常夏/篝火/野分/行幸/藤袴
- 作者: 紫式部
- 出版社/メーカー: フロンティアニセン
- 発売日: 2006/03/09
- メディア: -
恋しくはしたにをおもへ紫の [和歌・源氏物語・古典]
恋しくはしたにをおもへ紫の根ずりの衣色にいづなゆめ
古今和歌集 巻第十三 恋歌三 652番 よみ人しらず
訳
どんなに恋しくてもその心は隠し通しなさい。紫で染め上げた衣の下に押し隠すように。
想いは溢れて、隠すことがままならないものなのだから。
想いを隠さないとならないような立場の人がいたのだろう。
恋してはならない相手だったのか、それとも自分が潔斎しなくてはならないような立場だったのか。
よみ人知らずなので、確証は得られないが。
人間は禁止されるとますますのめり込んだり、それを侵したくなることもある。
押さえの利かない気持ちは、誰にでもあるものなんじゃなかろうか。
それだけに、個人個人の心の持ちようと言うものが問われるんだと思う。
歌にして、強く戒めなければならないほどに秘めた想い。
この人が、どのような人生を歩んだのか、気になるところだ。
遙かなる時空の中で 藤姫お誕生日6月15日
どうやらCDドラマではあかねちゃんに気になる人を打ち明けている様子。
あかねちゃんが「ええええエーーーーー!!。」と驚いていたので、一体誰なんだと思わずにいられない。
漫画とかなら友雅さんが有力な気がしますが。誰だったんだろうな。
あかねちゃんがわからなかったくらい、上手に想いを隠せる藤姫ちゃん。
小さいのにえらいなあ。
私も少し見習いたいなあ。
遙か愛を隠せないよ。(原監督のジャイアンツ・愛みたいですが)
子供だから隠せるのかなとも思ったけど、「隠す」ことを覚える辺りから、もう心は子供ではないという事なのかな。
願わくは [和歌・源氏物語・古典]
願わくは 暗きこの世の闇を出でて
紅き蓮(はちす)の身ともならばや
和泉式部
訳 この世に一人残されてしまうなら、 いっそのこと一緒に死んでしまいたい。 あなたとともに、同じ蓮に生まれ変われるものならば。 恋と情熱の歌人と言われる和泉式部。 彼女の残した和歌の多くが恋に関してのものだったから、 歌を詠み交わし送った相手も数人いたこともあって浮かれ女だとか言われて世間からは白い目で見られていたようだ。 でも、改めて彼女の和歌を見てみると、哀切で、美しく、激しく、言葉の一つ一つの重みになんだか心に迫るものがあった。 この和歌を見たときに、何故だかわからないが、涙が出た。 恋する人との死別を経験した和泉式部だったからこそ詠めた歌だと思う。 紅き蓮・・・・・。 和泉式部の歌には原色を連想させる何かがある。 その恋がいかに激しくて鮮やかなのかがわかるような気がした。 本来、蓮に生まれ変わるといったら、 私なら、白い蓮の花を思い浮かべてしまうが。 彼女は、死んでからも恋の苦しさに関しては救いを求めていないのだ。 情念さえも飲み込む心の昇華はどこから来るものなのだろうか。 和泉式部が恋多き女だとか、色々評されているが、 それよりもなによりも生きることにかなり不器用だったのかもしれないとさえ思わずにはいられない。 性格的にも社交的なほうだったのかもしれないし。 むしろ、歌の才能がなければ、こんなに人の口に上ることは無かったかもしれない。 世間の噂を和泉式部は自分でわかっていて日記にも書いている。 こんな素敵な歌をもらえたら、そりゃあ、喜んで通ってしまうよなあ。 素直に、認めてしまえるだけの理由が彼女の和歌には詰まっている。
花のいろは うつりにけりな [和歌・源氏物語・古典]
花のいろは うつりにけりな いたづらに 我身よにふる ながめせしまに
小野小町
あの方からも、この方からもと文やお歌を頂くのですが、
返歌をどうしようかと考えている間に、
頂いたお花を眺めていたら、色が変わってしまいました。
だって数が多いんですもの。
小野小町、日本の美女として有名な彼女の詠んだこの歌は、
よく色あせた花と自分自身の盛りを過ぎた容貌の褪せ具合を重ねた歌として評され、
訳されることが多い。
だが、私はあえて、この歌の小町という女性が若かりし日でもいい。
いけてる時に詠んだと仮定して訳をしてみた。
次から次に評判を聞いては熱に浮かされたように公達から届くであろうラブレターに、全て返事をしていたか定かではないが、あんまり無視ばかりしていられない相手からも文などは来ていただろう。
流行といっては何だが、貴族の青年たちの間では誰が評判の美女を手に入れるか駆け引きもあったかもしれない。本気でなくてもとりあえず・・・という公達もいたかもしれない。
失礼にならないように返事を出さないといけなかったことを考えると、何通も届いたら、返歌だけでも大変そうだ。そうそうこれはいけるという歌ばかり作っていられないだろうし。
かといって詠みぶりが下手くそだと小野小町もこの程度かと笑われかねない。
歌ができないことをあえて歌にするというかわいらしさ、かなり男心に来るのではと思う。
肩肘張って絢爛豪華な歌でも詠み返されるより、お歌ができないの・・・。と甘えられている気分になるのではなかろうか。その上花の色が変わっちゃったである。
花・・・紫陽花かとも思ったが、それではあまりにも時間の経過がありすぎる予感もあるのだが、なかなかできない歌にこんなに考えてもできないの。という気持ちがあれば、紫陽花でもありなのではなかろうか。と思う。ま、こういう風に返すのなら、相手に気が無いか、相手の出方を探っているかどちらかなのだろう。他の男からも色々届いているというライバルの存在をさりげなくアピールしつつ、歌も返してみる。巧妙なやり方だ。
もしくは、見ている間に切花が枯れちゃったという意味でとってもかわいい小町の魅力は満載だ。
・・・・・・小利口な女より少し甘い女のほうが受けがいいのは今も昔も変わらないということか。